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コラム |
ベトナム中部高原で一時代を築いた美人ゾウ商人
中部山岳地のDak Lak省Buon Don県を訪れた人なら、誰もが興味を惹かれる話がある。20世紀半ばに名を馳せた、美人ゾウ商人の話である。
Krong Na村Ea Rongにある、Khantha Talyさん家族の小さな家。
その家に、うやうやしく2枚の肖像写真が飾られている。Khantha Talyさんは、その写真にうつる“ミス”のように美しい女性Sao Thong Chanさんの養女4人の末っ子である。
その写真にうつる女性が、3年前に90歳で亡くなった彼女の母の若かりし頃と知ると、旅行客の誰もが感嘆のため息をつく。彼女は母の遺品や資料を多く保管しており、ゾウ商人のいろんなエピソードを知っている。
1940年代始め、Sao Thong Chan夫婦はラオスから、ゾウ猟の先駆者で、当時ゾウ王と呼ばれていた親戚Khun Jun NopさんについてBuon Donにやってきた。Saoさんはかつては“チャンパサック小町”ともいうべき存在で、結婚前には言い寄る男性も多かった。
新しい場所でゾウ王から教わったSaoさんはすぐに仕事のコツをつかみ、次第に名が知られ、経験豊かな商人になった。当時Buon Donではゾウ狩りが非常に盛んで、ひとつの産業が形成されていたほどだが、このなかで最も長く成功した人はSaoさんただ1人である。
Saoさんは最初の頃は、ゾウを少しずつ購入し、飼いならしてから販売し、利益を得ていた。そして資金が溜まるとYok Don森で行われるほとんどの狩猟に資金を出し、捕まったゾウを独占的に買い上げるようになった。
Khantha Talyさんは、「狩りの一団を見送る儀式を済ませると、母はこれから家の中でやってはならないことを厳しく守らせました。猟師たちが帰ってくるまでは戸を閉め切り、見知らぬ人は家にいれず、女たちは石鹸を使うこともできませんでした。猟師の手が“滑る”ことのないように」と言う。
■国への貢献
Buon Donの人々が、Saoさんが抗戦の秘密革命拠点となっていたことを知ったのは、1975年以降のことだ。Tay Nguyenの山岳地で合法的に行われていたゾウの売買を通じて、革命のために武器や食糧、医薬品などを運んでいたのである。弾薬や戦闘機材の運搬に用いるゾウも2頭、軍隊に献上した。
Khantha Talyさんによると、SaoさんはBao Dai帝(阮朝最後の皇帝)に多数のゾウを売り、ゾウ使いとともに2カ月間ものあいだ船に揺られフランス人にゾウを提供したこともあった。キューバに贈る政府の贈物用の2頭の選定も行った。
ただ今はゾウ使いが少なくなり、飼いならされたゾウも減り、ゾウ商もBuon Donの人々の記憶に残るだけになっている。
(Thanh Nien)
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(2016/01/30 04:22更新) |
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