ホーチミン市中心からチョロン、大統領が使った秘密地下通路の謎
1963年のクーデターの際に、南ベトナムのNgo Dinh Diem大統領をCho Lonへ逃がした秘密地下トンネルがGia Long邸にあるらしい――多くの人に今もこんな噂が囁かれている。
■500kg爆弾に耐え得る設計
Ly Tu Trong通り、Pasteur通り、Le Thanh Ton通り、そしてNam Ky Khoi Nghia通りと4つの道路に面した素晴らしい場所にある、かつてのGia Long邸(現ホーチミン市博物館)は、フランス人建築士Alfred Foulhouxの設計によるものだ。
ここは1962年2月27日に独立宮殿(現統一会堂)が爆撃を受けた後、Ngo Dinh Diem大統領の住まいと執務を行う場所となった。
ここには地下に、ひとつの“トンネル”がある。
この建設が始まったのは1962年5月からで、1963年10月30日に完成。費用は当時のお金で1,200万ドン。
今も博物館に保管されているこの地下の設計図は現状とピタリ一致し、4mほどの深さに、強固な鉄筋コンクリートで築かれ、壁は厚さ1m、500kg爆弾にも耐え得る。ハンドル式で開閉する6つの鉄扉がある。地下の屋根は観葉植物や照明でカモフラージュされ、給排水設備も完備されている。
面積1,392.3㎡、6つの部屋とひとつの広い通路からなり、床は場所によってセメントかレンガ。そしてNam Ky Khoi Nghia通りとPasteur通りに抜けられる出入口がある。地下には執務室と応接室に直接繋がる階段があり、寝ている時でも食べている時でも、すぐに地下に降りられるようになっている。連絡システムも完備され、外部の状況がわかるようになっていた。
■秘密通路は存在するか
市博物館の許可を得て6月22日、『Thanh Nien』紙の記者は、この地下に降りることが許された。一部は水に浸かり老朽化が激しいため、2部屋しか開放されておらず、残りは現在修理中という。
Ngo Dinh Diem大統領の応接室は当時のままに再現されており、長椅子ひとつ、小さなテーブルひとつ、そして客用の籐製の椅子がひとつ。
ホーチミン市の歴史研究を長年続ける作家Ly Nhan Phan Thu Lang氏によると、地下にはエアコンと専用の発電機も設置される予定だったが、完成しないまま1963年11月1日のクーデターを迎えた。
この時Ngo Dinh DiemとNgo Dinh Nhu(弟で大統領顧問)は、数人の近衛兵と地下に逃げ込んだが、その後迎えの自動車に乗りCho Lonへと逃げた。まずは華人の家に身を隠したが、安心できずNguyen Trai通りの教会に逃げ、反乱軍と交渉しようと待っていたが、射殺された。
このように、Gia Long邸からCho Lonへと抜けるトンネルがあったというのは、ただの尾ひれのついた話であり、様々な関係者が、地下は不測の事態に逃げ込むためだけに使われていたもので、避難路ではなかったと断言している。
このホーチミン市博物館の地下室は、国家遺跡として認定されているが、多くの場所が水に浸かっており、観光客に開放することはまだできないそうだ。
(Thanh Nien)
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(2015/06/27 01:55更新) |